小川町小瀬田プロジェクト

小川町の小瀬田を舞台にした、自然景観の回復、農業の体験などを通したローカリゼーションの実践的な学びの活動記録。
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稲のはざかけ
2015年 10月 25日 |
10月25日 快晴 
二十四節気 霜降

暦どおりか、前日までのうららかさから打って変わり、真夜中から吹いた木枯らしで落葉がたくさん舞い散り、秋深まる小瀬田は抜けるような青空ながら風は強い。
予定していたよりも参加者が増えたので、稲を手刈りすることになる。
まずは、初心者のために桑原さんが稲刈り指南。稲の株元を握る際には、必ず親指を自分の体に向かって握ること、親指を外側に向けると鎌の刃が当たった時に見えないので、スパッと怪我をしかねない。

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昔から日本のこの時期は、晴れ続きのため、やりかたに地域差はあれ、どこでもはざかけして天日干しすることは当たり前だった。
しかし、気候変動で天候が読めなくなったここ何年もの間、
稲作農家にとってはざかけ直後に大雨が続いたりすると命取りになるので、
ぶくぶく農園でも、野ざらしにするはざかけより確実な乾燥方法をとらざるを得なかった。
そんなわけで昨年に続き小瀬田で昔ながらのはざかけ風景が見られるのは、まったくもって喜ばしいかぎり。

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ただし、桑原さんの長女はなちゃん曰く「今年は例年以上に、降ってほしいときに雨が降らなかったので、今までで一番の不作です。」 とのこと。

刈った稲を束ねていると、ちょろちょろ逃げまどうカヤネズミを桑原さんが発見。
それからすぐに、はなちゃんが稲の茎に作られたカヤネズミの巣を発見。

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今日は、はるか天竺(インド)より農業ジャーナリストのジャイディープさんが手伝いがてら見学に来られたので、
昼ごはんをみんなで分かち合いながら、かの地の話を聞く。
ちょうど小瀬田の道の脇の梢に這って熟していたアケビの実も二つ三つ供され、彼にとっては珍しい味も楽しめたようだが、
平山さんのこしらえてきたインド風のジャガイモカレーはインドの味そのもので、
これは立派なダム・アルー(alooはヒンディー語でジャガイモ)という家庭料理ですよと彼も太鼓判を押す。

インドでは市場(しじょう)を開放した1980年代後半から今まで約30年間で、なんと35万人の農民が自殺しているそうだが、
氏が生まれ育った地域(マハラシュトラ州ナグプール界隈、位置的にはインド亜大陸のほぼ中央)はとくにその自殺率がインド全土で最も高いところだったことから、その原因をさぐるためジャーナリストを志すようになったという。
そして、その要因とは、世界市場をつかさどる多国籍大企業によるものだったこともつきとめる。
とくに太古より棉(天竺棉)を産出してきたこの地域は、遺伝子組み換えワタ(GMOコットン)の導入によってモノカルチャー化に拍車がかかり、強力な農薬散布で引き起こされる人々への病害、大量の化学肥料使用による土地の疲弊の結果として、
最初は見込まれていた農作物の収量が下がってゆき、世界市場に翻弄されながら作っても売れない、ないしは売ってもお金にならないという状況が続き、働き手も健康を害し、農家の借金が返せなくなり、ゆきづまって自殺するというケースが後を絶たないそうだ。
氏によると、全世界の人々の胃袋を支えている作物の平均70%が、家族農業、まさに日本でいう専業ないしは兼業の零細農家によって作られている、という。そもそも、農業は大企業が参入して成り立ってきたものでは当然無かった。
桑原さんいわく、現代はあたかも大手資本が世界の食料を支えているかのような印象操作をマスメディアのニュースなどからも受けがちだが、これを日本国内だけで換算すれば七割どころかおそらく九割はまだ大企業でなく農家が支えているはず、とのこと。

「しかし、」とジャイデープさん、「わたしは楽観論者なので、そういった(インドを含む)世界中の悲観的な出来事をじゅうぶん承知のうえ、この(小瀬田プロジェクトの)ように、地域以外の都市住民もともに生産現場の現実を知って関わり昔ながらのやり方を取り戻そうとする地道な取り組みが同時に世界中でおこなわれていることも知っているので、(企業を中心にした)グローバリズムではない(一般庶民による普遍的な)ユニバーサリズム的なつながりこそが(反対運動を超越した)具体的な対抗手段として将来を良くするだろうことを確信している」と、終始明るい。

ちなみに、彼の育った地域でももちろんお米は作っているが、その乾燥方法は日本のはざかけとは異なり、刈った稲を横に寝かせてサークル状に積み上げていくそうで、いかにも乾いた大地のやりかたっぽい。

小瀬田のお米(もち米)の手刈りが済むと、ジャイデープさんは桑原さんにともなわれて晴雲酒蔵の見学に向かい、
残った参加者で、はなちゃんの育てたフィリピン在来種のお米(紫米)の収穫後の稲わらを干すお手伝いをする。
古来、原種に近い南方のお米は、登熟すると稲穂から容易に粒が落ちるので、くしけずるように頭のところだけを収穫するものがあると本では読んでいたが、このフィリピンのお米もそういったものらしく、残されている籾を手でしごくと簡単にとれて生米の味見ができ、ほんのり甘い。
稲わらを、小瀬田の奥まで軽トラックの荷台に載せて運び、ついこないだまで牛さんたちが飼われていた小屋の足場にかけてゆく。

作業後、ジャイデープさんを囲む懇親会では、わらしべの美味しい食事をいただきながら、小川町の若手有機農家の青年たちも多く集まり、農業のことのみならず、インドのカースト制度のことにまで踏み込む幅広いお話となった。
インドは200年にわたる英国の支配下にあったことが日本との大きなちがいで、農民の生活水準でいえば、日本では高度経済成長期に機械化が進んでインフラが整えらたぶん、その過程を経ずに現在のグローバル経済格差の波にさらされたインド農民ほど突き落とされるところまでいかないところでは、日本は良い意味で農業の近代化がなされたのではないか、ということでした。

後日、東京で初めて開かれたインド料理店(インド独立運動をチャンドラ・ボースさんらとともに展開し、戦中に日本に亡命したケラーラ州出身のA.M.ナイルさんが1949年創業)にジャイディープさんをお連れしたら、二代目のナイルさんとも会えて、ここは日本に来たら訪ねたてみたかったところだったのです、とおおいに喜ばれ、その後、おいしい日本酒を飲ませる友人のお店へハシゴし、いろいろと話しが盛り上がる。
すっかり日本と日本酒(インドでは清酒はなくドブロクのみだそうで)が気に入ったジャイデープさん、小川町での桑原さんとの出会いにもおおいに触発され、再来日もそんなに遠い先ではないなず。

指導 桑原衛さん、桑原花さん
参加者 高橋夫妻、平山さん、かおるさん、近藤さん、笹原さん、佐藤さん、渋谷さん、ジャイディープ・ハディカリさん
報告:河野
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