小川町小瀬田プロジェクト

小川町の小瀬田を舞台にした、自然景観の回復、農業の体験などを通したローカリゼーションの実践的な学びの活動記録。
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なつみら田んぼの田植え、オオムラサキ放蝶会など
2008年 06月 28日 |
c0167329_22514466.jpg 今日は、田んぼの田植え、オオムラサキの放蝶会、ジャガイモ畑の収穫、なつみら畑の手入れ、そして作業後は温泉入浴と盛りだくさんだった。
 田植えは、前日に保育園の園児と保護者の方たちが植えた続きを行った。参加者が横一列に並んで順々に植えていくが、植えたと思った苗がすぐに倒れてしまいなかなか難しい。



●節気:二十四節気:夏至(げし/陽熱至極し、また日の長きのいたりなるを以て也)
     七十二候:菖蒲花咲く(しょうぶはなさく/あやめの花が咲く)
●天候: 曇り時々晴れ
●講師他:伊藤和貴さん
●参加者:トミ、Ichikawa、Ohata、加藤久人、Kamata、とらちび、Q、
Sakamoto、Nakagawa、Vern、ゲンジン、Miyake、Mori、Yoshida、
小川町在住のご家族
        *放蝶会には近辺の親子連れが何組か参加
●活動概要:
・なつみら田んぼの田植え
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・オオムラサキ放蝶会
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・ジャガイモ掘り
・なつみら畑の手入れ

●活動詳細
<田植え>
 前日までに幼稚園児とその保護者のかた達が手伝ってくれていたので180平米のうちのくらいはすでにイネが植えられていた。田植えには、前向きにするやりかたと後ろ向きにするやりかたがあるが、今回は前向きのやりかたでおこなう。田の東西の畦に張られた紐に一尺ごとに緑色の目印がつけられており、横一列に並んだ人が、その緑色の目印に合わせて、各一カ所につき2本の苗を5、6カ所ずつ植え、全員が苗を植え終わると、両はじの人がその紐の両端についた杭を列の前方に一尺ずつずらしながら前に進み、同じ作業が繰り返される。
 生育の小さなものを除き、イネの苗を2本ずつ、親指、人差し指、中指でもち、手刀を切るように泥に差し入れる。深すぎず、浅すぎずの加減がなかなか難しい。最初のうちは一人当たりが担当する苗の数や速度にばらつきがあり、中々息が合わない。
 生き物は、オタマジャクシ、ミズカマキリを発見。

<オオムラサキの放蝶会>
 オオムラサキ放蝶会昆虫博士の伊藤和貴さんの指導により、博士が育てられた羽化したばかりのオオムラサキを放す。
 発泡スチロール内で光が当たらず半ば眠った状態でいるオオムラサキは、蓋を開けると体温が上がり、飛ぶ態勢が整うまであまり動かないので、そのまに良く観察する。
 オスは紫色、メスは茶色にそれぞれ白い斑点のある羽をもち、いずれもなかなかきらびやかである。子ども達を中心に、参加者のからだや頭や手に頼りなくくっついた後、準備が整ったものから飛んでゆく。
 エノキの枝からぶらさがったまま運ばれてきたもうすぐ羽化する蛹は、小瀬田の畑の東側に位置する杉林の中のニワトコの木の叉に、そのエノキの枝ごとガムテープで固定する。
 もうすぐ羽化するこれらの蛹は、手で触れるとぴくぴく動き、触った人も一瞬びっくりしてしまうが、面白いからといってあまりしつこくおこなうと、蛹が枝から落ちてしまい、一度落下したらもう羽化できないため注意。
<伊藤和貴博士のお話>
 オオムラサキは渡り性で、冬は南方まで上昇気流に乗って飛んでいき、そこで過ごした後、二世代かけて羽化したところまで戻ってくる。そのため南はフィリピン、北は青森と分布範囲が広い。
 オオムラサキの保護区を嵐山町で設けたが、周囲が工場や宅地に開発された中なので、天敵も集中してしまい、結局、弱い種から消えていくことになる。そのような種の保護は限られた自然の遷移に任せても滅びに向かう一方であり、一度、人為的に保護をしようとしたら将来にわたってずっと手をかけてやらなければ意味がない。
 オスの蝶は、人間の男と同じで、あれこれ寄り道して余計なことばかりするので結果として寿命が短くなる。
 小瀬田は良い環境なので、今後も放蝶会をするなら虫を見つけてくる。
 昆虫の生息状況によって、その地域にどんな植生があるか、またその逆に地域植生を見ればどのような昆虫が生息しているかも、大体分かる。たとえば野草を観察し、その種類を同定してから食べられるものに関しては、天ぷらにして食べるという企画を、昆虫観察会と一緒にやれば、より幅のあるものになる。ちなみに、食べられる野草を採集し、それを天ぷらにして、種類名を伏せたまま参加者に食べさせてみると、異口同音に一番美味しいとの評価を受けるのは必ずセイタカアワダチソウの花穂である。
 昆虫だけでなく、生き物のほとんど全ての種のうちのかなりの固体数が、他の生物が生きるための食糧、餌となって生態系の循環システムを構築している。それも弱いもの、病気のもの、子どもや年寄りからその役目に回っており、唯一人間だけが、それをせずに生きながらえている。人間以外の自然界における年齢層は、いわば、ここにいる皆さんの中の若い人達が中心で、わたしのような年寄りなどはとっくに存在していない。

  伊藤和貴(かずたか)氏プロフィール:
   専門は鱗翅目(りんしもく)(蝶蛾の仲間)の分類学。
   昭和17年東京・神田末広町生まれ。幼時の光景が東京大空襲後の焼け野原。
   戦後、神田明神の高台から見ると、靖国神社から上野・飛鳥山、大森海岸まで一望
   できた。トンボや蝶を追いながらかけずりまわっていた焼け野原でそこここに飛び出し
   ていた鉄筋につまずき額を怪我して病院に行ったが診療中も手に捕まえたトンボを
   放すことがなかったという。ずっと東京に住んでいたが、ある日、有楽町の交差点に
   立っているときに、生き物が人間しかいないことに気づき、ここには住んでいられない
   と決意、吉見町に引っ越してから25年。つい最近まで、日暮れから日の出まで飲み
   歩いていたという無類の酒好き。腰越で飲んでから吉見の家まで歩いて帰ったことも
   ある。現在、自宅にて、ヤギ3頭、ネコ10匹、ウサギ40羽、つがいの鴨、孔雀1羽、
   いずれも後から繁殖したものを除いては、飼い主が手放して死を待つしかなかった
   のを引き取り育てている。総工費1万円以内で組み立てた家屋と手作り二階建て
   テラスでは、ヤギ達が自由に上り下りしている。子猫を差し上げたいのでネコ好きな
   人募集中。

<ジャガイモ掘り>
 桑原さんが、三本鍬でざっくり起こしたキタアカリの株周辺を、各自、手掘りでジャガイモを探り当て、地面に並べ、後で大きいのと小さいのに選り分ける。まだ青いもの、腐りかけているものはただちに取り除く。ごくわずかな一部だけが腐っているだけでもたちまち健康なイモに蔓延してしまうので注意深く取り除く。また、イモの泥は軽く落とし、乾かしておかないと、わずかな湿り気で腐ってしまう。
 また、加藤さんが植えたインカノメザメも掘り起こす。小さなイモが多いが、栗の味に似てほっこりしているそう。
 生き物はカナヘビを発見。

<なつみら畑>
 ミヤマコカブが雑草に覆われているため、取り除きながら間引きをおこなう。
 ヤツガシラについては、西側の3、4株だけ周囲の除草をする。
 エダマメ、落花生もなんとか生育しており、安納イモも定着。
 小川町の農産物直売所で購入した小川町産の鳴門金時の苗を50本、植える暇がなかったため、安納イモの畝の続きに仮植えしておく。

●その他
・現代の農業における問題
 現代の日本の農業を担うのは、本来なら20年前に代替わりして現在の50代が中心になっていなければならないのに、実際の主力はすでに70代になっている。その理由は、今まで政府が国内農業の積極的な推進・保護をしてこなかったのと、農家自身が、農業を継ぎたがる息子達にもっと現金収入の確かで苦労の要らない務め仕事を勧めてきたためであり、今さら自給率を60%に上げましょうと言ったところで、20年前に気づいていればいざ知らず、一体これから先、誰が農業を担っていくのか、非常に切実な問題である。
 半農半Xという最近の風潮的な言葉は、どちらかというとXが中心で農のほうがおまけのような感じに捉えられられているが、実際は農こそが中心にならなければ、その暮らしさえも到底難しいはず。(桑原衛さんのお話)

・作業後
 東秩父村からすぐの寄居町の山中の一軒宿、榧(かや)の湯温泉に。入浴料各500円で全員入浴。天正年間に北条氏邦の家臣某が開いた湯で、鄙びた雰囲気がなかなかよく、また泉質もほどよく岩風呂で仲良く入る。
 休憩室の大広間で、ビールとジンジャーエールとカルピスでおやつをつまみにささやかなお疲れさま会。
                                                   以上
<記録:Q 加筆修正:Nakagawa、Ohata>
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